ひとりごと

「好き」

高校受験の集団面接、「趣味は?」と聞かれたので、「何かを作ることです」と答えたら、他のメンバーに自分だけ目立とうとしていると言われたのを思い出した。

本当のことを言ったのに、だめなんだと思ったのを思い出した。


最近、自分の「核」とか始まり何かを考えることが多くて、「作り出す」がそのひとつなんだと気づいた。


「好き」なことはたくさんあった。


10代では詩を作ったり、小説を書いたり、歌も作っていた。

その後、絵を描いたり、手芸。


でも作り出したものは格好悪いし、素人くさいし(素人なのに)と、「作り出す」気持ちも封印することの時期が長くなった。

作ったけど、誰かに見たり聞いたりしてもらわないと、先に進めなかったのかもしれない。


誰かから認められたかった。今のようにSNSがあったら、変わっていたのだろうか。


何かを極めたいというより、いろいろ作りたかった。

うまくなかったから、「作ってます」と言えなかった。

「好き」より「うまい」ことの方が自分の中では大事になっていた。


うまくない人間が作っているとは言ってはいけない気がした。


「作る」人たちに失礼だと思ってきた。

作るには技術とエネルギーがいる。


そのエネルギーが、仕事や子育てに使われた。


今は、子どももいない。

それなら、環境は前に戻っているか?


私は何かに遠慮している?


認められたいから作る?


自分が自分を認めるでもいいんじゃないか?


私は自分を認めていないのか?

もういいんじゃないか?


「好き」だけでも、いいんじゃないか?


今はそれほど「好き」ではなくなったから動けないんじゃないか?

考えてみよう。


考えることも好きだ。


考えるにはうまいも下手もない。

「好き」と「楽しい」を考えてみようか。

違いは何だろう?

好きだから、楽しい。

楽しいから、好き。

私は、今、それをしていて楽しいのか?

そんなことを考えていた時、あるブログに出会った。

引用〜〜〜

“この『楽しい』と『好き』の違いとはなんだろうか。

『楽しい』と『好き』の境目はどこにあるんだろうか。

僕の答えは

『辛い』『悲しい』『悔しい』などのネガティブな感情

その状況に直面した時に

続けられるか or 続けられないか”

『楽しい』+と+『好き』+の違い|スペインサッカー研究所|note(ノート)
https://note.com/devuelveme/n/n0dfce2542e01

ああ、これだ。

ネガティブな状態になった時、続けられるかどうか。

続けてきた。

続けてきた。

「好き」なんだ。

それより、私は、「特別な何か」になりたかったのかもしれない。

作り出すことでお金を稼いでいるかつての友や後輩、今も友人の才能を見て、自分には才能がないと比べて自分で自分がを認められなくなっていた。

私も他の人からは何かの才能があるのかもしれない。いや、そうなら嬉しいけれど、

ずっと、誰かやら何かと比べて勝手に自分で落ち込んできたんだ、40年間も。

これがいいも悪いもしてきたこと。

さて、どうする?

どうするかわかっている。

動ける?

動くさ。

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コメント

  1. なつのしん より:

    才能とは、ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力だそうです。
    訓練も含まれるのですね。

    生まれつき備わっているもの指すとしても、それを好きであるということは、生まれつきというか「それがわたし」に通じるのかもしれません。それを好きである自分を、走らせてあげる。子どもにはきっとそうするでしょうから、自分にもそうしてあげたいなと、思いました。

    1. ぶーたー より:

      コメントありがとうございます。コメントをいただいたことがなかったので、気づくのが遅くなって申し訳ありません。

      生まれつきのものより訓練によるものの方が大きいような気がします。「続ける力」によるものも大きいかと。

      私には残された時間は少ないのですが、もう少し、好きなことを続けたいです。

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