活字を読んで思うことは何だろう?
「えっ!」「そうそう」「そうかなあ?」などいろいろだが、その場だけの感想(感想までもいかないレベル)もしばしば。しかし、ある「感じ」の後は必ず言葉がからだや心に入ってくる
「あっ」
ある時は脳の表面を覆い、ある時はヤリのようにささり、しばらくその場に留まりやがて吸収されてゆく。どこへいくのか。私の中の小部屋か。
「友達のやりたいことをやると自分のことが進まない。でも、自分のことをやっていると友達のことが進まないんだよ」
この言葉を読んだ後の「あっ」は今年読んだ中で最大級の「あっ」だった。
内容もだけれど、その話者の若さ、いや、感性。
この言葉の聞き取りのきっかけを聞き逃さった聞き手の感性。(あえて客観的に)
今回の感想はこの言葉ともうひとつのパラグラフに尽きる。
まずは、この言葉から。
「ぽんたのじどうはんばいき」を読んで、かわいそうと思ったのは?というところから、最初の言葉の衝撃に至るまでの私の心の中を思い出してみる。
「なぜかわいそうなんだろう?」
この本は私も大好きな本なので、何度も読んで、いつでも、最初から「ほのぼの」だった。よかったね、ぽんた、ともだちができたね、と。
だから、ともだちができたことがなぜかわいそうなんだろう?と。
三点リーダーには気づいていたが、それは「ぼくも(うれしい)」が照れて言えなかったのかと。
でも、ぽんたがやりたかったのは「じどうはんばいき」だ。ともだちがほしいから始めたのではない。
「じどうはんばいき」より「ともだちがほしかった女の子の気持ち」をぽんたは大切にしたんだ。
それが最初の言葉につながる。
自分と周りと、そのバランス。
そこに気づいた感性。素直に、すごいよ、ほんとにすごい。
さて。今回の感想のもうひとつの「あっ」。
活字が好きなのと、物語が好きなのは違う。情報にあふれていることと、感性が豊かであることも、違う。
今の私が活字を読むのは圧倒的に情報を得るためだ。それは物語を読むための余裕がなくなったから。活字を読むのは言葉の意味だけではなく、奥にあるものを味わうという楽しみがあるのに、その余裕がない。物語を読む時、歳をとったからとか、この内容(表面だけ)ならこうなるだろうみたいなへんな経験やら知識で自分なりに勝手に物語を味わっている。そういう楽しみも悪くはないだろうが、「こりかたまった」読み方、味わい方になる。
そう.違うのだよ。
ひとによって違うんだけど、outしないと違いに気づかないし、outしてもそこに反応してもらえると、さらに違いが際立つ。
情報として得る時は客観性がほしいので、ひとの意見の取り入れ方は気をつけないと。
それでも、違いを見つけたいから情報入手する。
情報入手したいから、活字を読む。
まだこの感想も消化しきれていないな。
それほど「あっ」が大きく深かった。
消化できるまで少し待とう。
追記1
活字の奥にあるもの。裏にあるもの。行間にあるものを感じたい。