心が軽くなった。
いつからなのかという明確なきっかけはない。
「適当に生きる」その文字が私を解放した。
「自分」にもこだわらない。
そして、「誰が」したのかにもこだわらない。
した事実には不快感がある。
された事実ではなく、「誰かが」した事実。
そう考えられるようになったからか「相手」は透明な存在だととらえられるようになった。何かを言っているようだが、反応しない。(もちろん、仕事上の最低限のことは話すが。)
「誰が」したのか意識しなければ、いらいらも起きない。ワクワクもないのだが。
心が軽いから、穏やかなのだ。