時間との付き合い方。
今回のそうだよね、は
なにより、わからなかったことが「わかる」ようになるのは、どんな人でも快感だと思うのだ。
中3で、息子が、「数学、どこがわからなかったか、わかった」と言ったのを思い出した。彼は中2で不登校になっているから、学校でも授業を聞いていなかったんだろう。中3になり、入塾クラス分けテストの後の面談で、「解けているんだけど、自分流です」と言われた後の息子の言葉。
わからなかったことがわかる時、先に進めなくなることもある。好きでよんでいた短歌が、ホンモノの歌人の歌を改めて読んで、私のは短歌じゃないと思ったのだ。ホンモノがどうなのか、改めてわかったから。
ハンドメイドは、できないことを思い知ったから、できるように何度も反復して練習してできるようになった。でも、歌はそうなれそうもない。
これは、意識しすぎているからだろうか?私ったら何様のつもりなんだろう?
恥ずかしいを知ってるから?
何かを考えるとその先の感情を想定してしまうんだ。恥ずかしい、嬉しい、相手に申し訳ない、自分はなんで〜なんだろう、…
そんなことを考えるひまがないように、私はいつも動いている、何かしているのかもしれない。マルチタスクね。並行してやっているんだけど、割合が変わって、こっちのタスクで詰まったら、今度はこっちの割合をあげる、みたいに。
動いている、考えているというのは落ち込まないための保険なのかもしれない。
そういえば、考えると考えているは違うな。点と線のアクション。
またあちこち飛びそうだ。