言葉を切り取って、思うこと。
受け入れられる情報量と自動的に取り込む情報量との量の差。これ、どのくらいのひとががこのことに気づいているのだろう。「=」が理想なのか? 大切なことは、量が違うということを意識しているということ。
刺激が情報として入ってくる~そうなんだよね。これが職場だと刺激が多くてすごく気になる。マルチに仕事をしようとすることは余分が刺激も感じるリスクを伴うということ。
ひとりの時間は、頭の中だけでなく自分の現実的な生活の整理整頓の両方を兼ねている。その通り。整理整頓のために私はハンドメイドをする。ぼーっとつまみながら、ビーズを通しながら、薔薇を折りながら、どこか頭の中がクリアになっていくのを感じる。
自分がわからないとメンテナンスもできないもんね。「無知の知」は私の中のかなりの部分でスタートになっている。
メンテナンスにはいろいろな部品が必要。メンテンナンスでもあり、さらに構築していくもの、構築し直すもの、いろいろ。でも、壊すことはしないよ。そんな時間はもうない。いや、ベースがないところには新しいものを構築できないのがわかっているくらい人生経験を積んでいる。新しいことにチャレンジしているように見えるものも、実は経験、体験に基づいているということ。
あるSNSで見つけた「再構築」という言葉も絡ませて、こんな感想。