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★感想 推しがいないと思っていたのに、気づけば推しを取り込んで生きていた

私にはたくさん「推し」がいた。

今の「推し」はエスパルス。

今は明確にエスパルス一択。

私は好きなこと、好きなもの、好きなひとはすぐひとに言うので、わりと同じ推しのひとと出会うことが多い。特にエスパルス関連はSNSでつながっているのですぐ見つかる。加えて、好きなひとは共有したいタイプ。おっととの会話は今、8割エスパルス。

「推し」が同じひととの関係性は、好きであること以外求めていないし、むしろ、好きなことを極めたいと思うので、一方的に知っているだけのSNSはとても都合がいい。

私にとっての「推し」は敬愛するひとのことではない。リスペクトはあるかもしれないけど、違うんだ、敬愛なんてものではない。

応援したいひと。

会いたいひと。

それが「推し」。

自分の中に取り込みたいわけではない。でも、応援することで自分にじわーっというエネルギーが生まれてくる。

前は、「人格」まで考えていたけど、あるとき、それがぷつっと切れてしまった。

そうなったら、「推し」ではない。

それからは、「応援する」だけにしている。

「推し」とは距離が必要。

相手に求めてしまったら、それは「推し」ではなくなるから。

それを感じてしまったんだ。

それを考えると淋しくなるので、今の「推し」のことだけ考えよう。

今夜は勝ちますように。

そうそう、「推し」にはお金をつかってしまう。お財布の感覚がバカになる。(エスパルス散財部)

私の「推し」の考えは私の考えだが、おっとの「推し」の考えも同じだった。

いろいろな「推し」の考えがあってもいいでしょ。

おっとの名言。「推し」について定義をするひとは「推し活」をしたことがないひとなんだろうね。

「推し活」はお金をつかってなんぼだ。

「推し」と「推し活」とはつながっているけど、別のものだ。

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