ひとりごと

届かないのはわかってるから

まず、私はプロではなく、文書を書くのも苦手で国語力もない、普通のおばちゃんである。ましてや批評家でもない。

それが大前提で、単なるひとりごとを書いていると思ってほしい。読んでいるひとがいるとして。

なぜ最近響かないのだろう。

それが不思議だった。

おっとと話をしていてわかった。

「薄い」のだ。

前は、もっと掘り下げて文章が深かった。

今はただの普通のひとが書いているブログを書いているだけで、それはご本人もわかっている。

きっと忙しくて、時間がなくて書けないのだろう。

こんなこと考えられていることこそ余計なお世話か。

薄くて軽い。

読んでいてつまらない。

それは、経験(経験値、経験内容)から。人生を生きてきた長さもあるか。

経験値が乏しいことも、若いことも魅力だったのだ。

そのひとの経験から感じたことや気づいたことが、私には新鮮だった。

自分が読みたいものではないからと言ってそのひとの文章を読むことが嫌いになったというわけではない。

待っているのだよ。

昔のような文章を。

いや、進化した文章を。

書けると、表現してくれると信じているのだ。

これがファンであるということ。

私たちには「待つ」ことしかできない。

あとね。

めがねをかけて見るようになった自分は少しずつのズレに疑問を感じるようになって、社会人としては知っていてほしいことが伝わっていないのも気づいてしまったから、どうしても違和感がある。

キャンセルされた約束は、キャンセルした側が次のことを考えてほしいんだよ。

(それはおっとも同意してくれた)

私が今まで付き合ってきたひとはみなそうしてくれていたし、私の中ではそれが「普通」だった。

「会う」ために費やして時間をどう感じている?

「会える」と思っていたわくわくわく感はどう感じている?

「ひとに会う」ということをどう考えている?

それほど私に会いたい気持ちがないというのはわかる。そんな存在なんだよ。

そんなめがねをかけて、純粋に文章を読めなくなったのかもしれない。

これを直接相手に伝えることができればいいのかもしれないけれど、言ってはいけないことだと思うから、ここでひっそり。決して非難批判悪口ではないからね。

「待っている」ことだけは伝わればいい。

文章も。会うことも。

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