おっとの心停止と親しい友人の急死。
それが私に大きな影響を与えたいたのにはっきり気づいた記事だった。
前はどんなものでも読んだらいろいろと感じることができた。
それが友人の急死でまったくできなくなり、考えることができなくなり、ようやくできるようになったのだが、おそらく、「死に近い年齢」と「まだ死を意識することの優先順位が低い若い年齢」が見え隠れするひとの文章を受け入れられなくなっていた。
いや、いる。
僻みだととられてもいい。
感じたところで何になる?
明日にも死ぬかもしれないのだ。
自分を変えたところで何になるのだ?
考えたところで、何になるのだ?
友人は亡くなった。
おっとは助かったが、友人のように亡くなっていたかもしれないのだ。脳梗塞と心筋梗塞からの心停止。私はこのひとをサポートすることに残りの人生を生きる〜そんなことを考えつつ、ゆっくりでも自分のことをしっかりできるおっとを見ていると、私はいなくてもいいかも、と思う。それでも、夜中に目が覚めると、生きているか確認する。
若いね。
そのひとことで片付けてしまうのは危険だ。若くても経験豊富な人はいるし、年を重ねていても経験をものにしていないひとは多い。
自分がそんなに経験してきたかというと絶対的相対的にもそれほどでもないように思うが、若くてもまだこれからいくらでも変えられるひとへの嫉妬なのか。
醜いの極み。
おっとのことと友人の死で自分自身のことより、親しい人のことを考える方が私の中で大きくなったんだろう。
さて、そんな中の感想。
上から目線だが、これは誰も読んでいないし、感想なので、好きに書く。
今回は響いた。たぶん、以前はもっと深く考えただろうが、そこまでの気力がない。
自分の信念を貫こうとすると失うモノが多い。
それはだいぶ前に気づいた。
気づいていた。
経験者、年配者と話していたらそんな話は出てくるけれど、自分自身で気づかないとね。