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★感想 「作品」と「スキャンダル」は切り離せるのか?

切り離して考えたいとは思うけど、「作品」と「作品を生み出したひとのしたこと」または「生み出したひと」は切り離すことはできないなと思う。

それを考えているうちに、最近の自分の中のもやもやがはっきりしてきた。

ぼんやりとしていた。はっちり認めるのが怖かった。

私は、作品や考え、言葉に共感して、刺激をもらい、影響を受け、自分自身も考えることができていたのであって、そのひとは「作品」とは別にしなくてはならなかったのだろう。勝手に私が近づいていってしまった。会う約束が果たせなくなると、これは神様が会うなと言っているんだと思うことが何度か。

それは正しかった。

私は「推し」ている存在だけなのだ。

それも私からだけの、一方的な矢印。

それが証拠に、約束が果たせなくなってからの「次」は私から動かない限りなかった。それもずっと果たせないまま。

つまり、認めたくない自分がいるが、自分は相手にはどうってことない存在。

推しに必要な距離感を忘れてしまっていた。

「ひと」と「もの」との間にある距離感。ひととひととの距離感。どちらも本当にうまくとれない。

少し前まで感じることや考えることができなくなっていたのだが、ぼちぼちハンドメイドを作れるようになった頃、ようやく何かを感じることができるようになってきた。

そして、至ったところが「距離感」。

そこに気付いたところで次のステップはわからないのだが。

さて、作者にスキャンダルなどがあった場合、作品には偏見をもって接してしまうのは無理もない。私もそうなりつつある。

距離がおかしいかもと、ぼんやり感じ始めてからは、リアクションが一切とれなくなっていた。

ひとと作品とを切り離せなかった証だ。

私は作品に惹かれたのだ。

そして、作者にも惹かれた。

それだけの、一方通行の話。

思い込んでしまった自分が悪い。

そうなって、行き着いたところ。

リアクションしたところで、何になるんだろう。

推していると思う気持ちも迷惑なのでは。

いや、私のリアクションなんてそもそも残っていないだろう。

何も反応できなくなるようにもなれないし、決別したいわけでもない。やはり、書くものや言葉、考えは好きだから。

そんなことを考えつつ、純粋に「推し」の存在を楽しんでいる会場にきている。

負けても推すさ。好きだもの。

続き 勝ちました。

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