久しぶりにこだわりたい言葉に出会った。
おっとが最初に倒れた時から9ヶ月。それほど長い間、私は今まで好きだった「言葉へのこだわり」をしなかった。忘れていた。できなかった。
倒れてからこれからこんな暮らしになるんだろうと慣れてきた矢先、今度は心停止、ICD埋め込み、冠動脈バイパス手術、自宅療養。ようやく仕事に復帰して一ヶ月。
大変だったと思う。本人の方がもっと大変でがんばった。麻痺も少し残っているけれど、脳梗塞を発症した当初想定できるほどではない。
どんな感じだったか。病院への往復は私だけ(他にきょうだい家族はいない)、入院先は3箇所共市外、1箇所は県外、1箇所は仕事が終わってから平日30キロ往復。私がやってきたことをほかのひと目線で見たら、がんばったね、と声かけしたいところ。
じぶんが思っていた以上に必死だったのかな。これで仕事もフルタイムで行っていた、還暦過ぎのばあさん。今年度の休みはぜ?全部おっと関係で使った。(まだ余っているのがすごい)
疲れてたんだろうけど、そんなでもなかったように感じるし。何よりどの入院も最初の何日間かは眠れなかったけど、次第に眠れたし。息子の不登校の頃の方が一日3時間睡眠の二ヶ月フルタイム。体力はその頃の方が消耗していた。
たぶん。いや、間違いなく。
私はもともと活動エネルギーをたくさん持っているのだ。
加えて行動力と素早い判断。やる気が起きていない時はやる気を起こす前、大きくジャンプするためにかがんでいるだけ。おっとの転院、その後の申請書の手続きのための自分の動きは自画自賛だけどすごかった。
そして迷いもなく進んで、それが全部いい方に進んできた。進めてきたか。
エネルギーの後押しか、エネルギーの波に乗っかっているか。
「元気」とはweb辞書には「活動のもとになる気力。また、それがあふれている感じであること。」と。
風邪も引かない、腹痛もない、頚椎ヘルニアでど近眼で目に不安はあるし、糖尿病と高脂血症の薬を飲んでるけど社会人40年近くのうち自分の体調不良で休んだのは10日もない。寝込むことがない。
というくらいの体力おばけなのだ。(ちなみに病気前のおっとは私の体力を上回っていた。)
元気が出るには、おっとへのハグ(手術後はICDと傷口が怖くてハグできなくなった)、息子たちの声で、あとは他の人なら元気が出るところは「他のエネルギーを静かに補充させてもらっている」感じ。
そしてそのエネルギーを自分の内へ向けていく。
元気の鎧を常にまとっているのかもしれない。
エナジーバンパイアになっていなければいいけど。
「元気」って何だろう? そう考えるために自分のしてきたことを振り返ったら、またひとつ自分の姿に気づいた。