ひとが心臓の病で亡くなると、もしかしたら、おっともそうなっていたかもしれない、と何度も思う。
そのたびに彼を助けてくれた多くのひとに感謝をする。名前も告げず、聞かず、お礼も言えずにいるたくさんのひとに。ありがとうございます、とここでしか言えないのだけれど、ほんとうに、ありがとうございました。
助かった命、おっとは何を思っているのだろう。
まだ、そっちに行ってはだめだと、生きて、することがあるのだということ。
私は、生きていることへの感謝。ひとへの感謝。そう、「感謝」。
○○しなかたっら、○○していたら、という仮定法過去完了ではなく、起こった事実は変わらない。それを踏まえてどう生きていくか。
人生観が変わったということか。
ひとに生かされた命。
自分が生きる意味。私のために生きてほしいと思うのはエゴか。
彼が生きるというのは私が生きるということで、彼がいなくなるということは私がいなくなるということ。私と私たちの境界はさらに曖昧になっている。
まるで、何かのピースのように、お互いの足りないところを補っているんだということ。
自分について考えるよりも、彼がいる時間を考えていたいし、味わっていたい。
そんなことを思う夜。