1日目
おっとが入院した。血管が塞がりつつある状態。
とりあえず、血液の流れをよくする点滴入院。
普通に話せる。頭も痛くない。普通に見える。
でも、歩けなくて力が入らなかった。つたい歩きしかできなくなっていた。
夜中に目が覚めた時、なぜ、すぐ対応できなかっんだろう。
話せるから、大丈夫だと朝まで待ってしまった。
足がおかしい、と、夜11時頃思ったそうだ。2時頃目が覚めた時にはもうつたい歩き、この頃はしびれはなく、7時頃聞いたら少ししびれてると。
2時に対応していたら、様子はもっとよかったんだろうか。
私もショックを受けているけど、本人の方がもっとショックだろう。
何ができたんだろう。
ごめん。おっと。
本当にごめん。
まだ、私はあなたに何もしていない。
私にたくさんしてきてくれたけど、私はまだ、していない。
父が入院したと言ったら、下の子が今夜帰ってくる,と。
何もできないし、会えないよ、と言ったけど、何かできる、と。
面会はできないんだよ。
危ないから、という意味ではなくて、面会は週一回15分以内。
どうか。
悪くなりませんように。
とりあえず、入院したから、何かあったらすぐ対処してもらえる。
予定では1週間の入院。改善されなければもう少しのびるそうだ。
どうかよくなりますように。
1週間。何も連絡が取れない。
彼には初めての入院。
どうかよくなりますように。
ぽろっと入院した、と言ったら帰ってくるという息子。
いるだけで安心する存在がいない夜に、いてくれるだけで嬉しい存在が来てくれる。
これが家族なのかな。
離れていた1年間よりもこれから離れている1週間の方がずっと長いし、お互いの存在意義を痛感すると思う。
そういえば、生まれて初めて救急車に乗った。付き添いだけど。よくもまあ、これで写真を撮る気持ちが起きるなあとどこぞのSNSを思い出した。
管が繋がれているおっと。繋がれていない腕をぎゅっとするのが精一杯だった。
息子が乗った高速バスはスタートの街で渋滞に巻き込まれた模様。かつて私が住んでいた街だもの、容易に想像できる。
こんな時間(22:30)にお街にいるなんて何年振りだろう。ひとりで椅子に座ってる。いつもなら寝てる時間。
こんな時間、異国でかつ一人で大きなカバンを持ってうろうろしていた20代を思い出したよ。
COOP と○○生命の保険金申請書を送付してもらうようにしたと連絡。障害が出たら、また別。
2日目
発症2日目。
おっと、ラインはできるんで、気晴らしになるよう時間があればラインしてる。
息子、洗濯をしてくれた。
息子がいるだけで私が安心する。
下の子が帰ってきた。
僕が家のことをする、とのこと。
その気持ちだけで嬉しい。
就職のことも話した。
地元か近くを考えてると言うので、自分が好きなことをして、と返したら、
不吉なことを言うけど、死に目に会えないのはいやだ。と。
まだ何も返せてない、と下の子が言う。
いやいや、十分だよ。
話をしていると、彼が不登校で学校に行けなくなった子とは思えない。
社交的で自分の意見をしっかり言える理系大学院生。
親バカながら、ほんとに、私たちにはもったいないくらいの息子。
上の子は情報がないからわからない。
単身赴任の最中に発症したわけではなく、朝一番に受診してすぐ受け入れ先も決まってすぐ転送された。
後遺症のことを考えたら、不安になるかもしれない。
でも、なぜだろう、不幸中の幸いとは思えない。
彼なら、大変なリハビリもやっていける。マイナスもプラスに考えられるひとだから。
私がいるから。
大丈夫。
一生分、家のこととか重い荷物を持ってもらったから、今度は私が手足になる。
話はできるし、精神的支柱であることは変わらない。
発症2日目、どのくらいら後遺症が残るかわからないうちに最悪な状態を想定するのは、プログラマやってた習慣からか?
杖ついて歩くようになっても、おっとはおっと。
息子が研修医の友達に脳梗塞のことをいろいろ聞いてくれた。
ありがたい。
来年は、試験に受かれば甥も研修医。
いろいろ聞けるかな。
でも、主治医の先生のお話がファースト。
あくまで知識として。
3日目
発症3日目。ラインで普通に連絡できているので、発症したことも忘れてしまうくらい。
1番不安なのは本人だろうに、悲痛になっていないと言う。まだ後遺症がどのくらいあるとかわからないレベル。
若い頃の私なら泣いてたけど、いろいろあったから、泣けない。
寝不足で涙が枯れている。
私がもうダメ、と言っても、「僕はあきらめない」と。
こんなひとだ。
楽しいことを急がせてしまったかもしれない。
これからは、私が彼の手足になる。
って、まだどのくらい後遺症がありそうかわからないんだけど。
おっと、発症2日目からリハビリ。
リハビリ前に自分の名前を書いたら、読めるレベルだった、と。
できなくなるわけじゃないけど、これからいろいろなことが前と同じようにできなくなる。言葉も頭もはっきりしてるから余計にもどかしいだろう。
しかし、おっとはとても気が長い。付き合ってた頃、2時間待っていたことは何回もあった。(渋滞とかで遅くなった)怒りもせず、無事でよかったと言うひと。
焦らないで。今は悲観してない、不便になるな、くらいと言う。
このひとのところに、いたから、下の子は生き返ったんだ。
私がもうダメ、と言っても、「僕はあきらめない」と。
こんなひとだ。
楽しいことを急がせてしまったかもしれない。
これからは、私が彼の手足になる。
って、まだどのくらい後遺症がありそうかわからないんだけど。
下の子が帰ってきてくれたのは、私のためなんだね。
夕飯は、インスタントではない麻婆豆腐。とてもおいしかった。
「まだ学生だし、何も恩返ししてない」と言うけど、いてくれるだけでいいんだよ。
長男は、何を思ってる?
あなたと出会えてよかったです。
4日目
発症4日目の朝。
洗濯物を届けに行くんだけど、面会できないんだよ。最良だと1週間で退院、その後、通院リハビリがリハビリ病院へ転院。
まだ結論は出ない。というか、せっかちな私たち。
4日目。
おっとと面会できた。
手を握った。
手を洗いたくない。
というわけにもいかない。
右足以外はまったく問題ない。
少しふらつくらしいけど、右腕も思ってたより動く。
右足に力が入らないそうだ。
生きていて。
それだけでいい。
おっとが、「目標を見つけた時のうちの家族は強い」と。
私は、それはうちの男性陣のことかと思ってたんだけど、実は私もそうだったのか。
5日目
発症5日目。
心電図と血圧計の管はとれたそうだ。
ほんとに、ほんとに、ほんとに、
もう先週までの週末はもうこれからはないんだと思うと、就業中、何度か涙が出そうになった。
でも、
今までの週末は無くても、新たな週末にすれば良い
という本人の言葉で、涙が止まる。
僕は、物事は良い方に考えるので、平気です(能天気とも言う)
そんなことが言えるんだ。
だから、私の本能がこのひとを手放したらダメだって、あの時思ってたんだ。
月曜日から起きていることが現実なのかな、と思う。夢ではないんだけど。
私にとってどんなに大切な存在か。
息子に「お父さんのすごいとこ、どこ? 私と結婚してるとこ? (私の)おかあさんと同居してるとこ?」と聞いたら、黙ってた。
そこはうそでも、違う、と言ってよ。
6日目
発症6日目。
朝7時からおっとエリアの片づけ中。
竿9本使って、日常の分もあるから、干し方を考える。部屋干し用のピンチハンガーなども使わないと。
8キロ洗濯機2回回したけど、まだまだ。
庭付き一軒家でよかったよ。
洗濯物とゴミを出しただけだ。これからよ。
くだらないこと書いてるけど,ここに書くのが1番で、メモにもなるし、落ち着くんだよ。
も少ししたら別のところにまとめるから。
おっと、これからリハビリ。
洗濯機は5回ですみそう。通常分も入ってるから、おっと分3.5回。
1番大きなピンチハンガー5個、7連ハンガー3個、足りなければ針金ハンガー。
なんとか足りそう。
片づけ完。ベッド用のふとんも干している。退院はまだだけど。
LINEで実況中継しながら必勝祈願。
結局、洗濯機は7回回した。
片づけで出てきたペットボトルの本数は恐ろしい数だった。
ベッドがセットできるくらいにはなった。
ほんとうは夢みているんじゃないだろうか、と思う。
7日目
発症7日目。
今日、下の子が帰る。
静かな一日になる。
息子、乗り換えている頃。
1カ月前、自分の仕事用御守りをお迎えしたところでおっとの病気用御守りをお迎えした。
どんなにがんばっても、私たちはあと20年くらいしか一緒にいられないんだよね。
ほんとは、泣きたいんだよ。
不安がないって言ったら嘘だ。
8日目
8日目の雨。おっととのラインやりとりの中で、病気関係だけ抜粋して日記アプリに入れたが、どうもアウトプットしづらい。
交換日記タイプで長文がかけるの探そう。
LINEのnoteだとカレンダー機能がないし。
探そう。
8日目。
今までの日常が日常でなくなるのなんてあっという間。
おっとは手足や食事は今まで通りでは無くなるけど、生きている。
大切な人がいなくなったひととの比較するなんて恐縮だけど、他人事だった。
息子の不登校も突然だった。
どの人生が「普通」なのかわからない。
起こってから、あれはこういうことだったのかと後付けすることは簡単。でも、わかんなかった。わかんなかったんだよ。今ある生活は続かないってね。
洗濯物を取りに、かつ頼まれものと御守りを置きに行く。
車椅子だけど、行動制限がなくなったので、電話にできるエリアまで来れた。10m離れて手を振り合う。
還暦のじーさんばーさんがみっともないことしてるーとか言われそう。
遠くから、足動く?とジェスチャー。おっと、動かす。
手は?おっと、動かす。
ばかみたいだけど、新鮮。
なんか嬉しい。
今日はまだ検査もあって、退院転院の話は出ないけど、素人ながら、足の機能以外は薬処方の食事療法かな、と思う。だといいな。
足はまだまだ。
病室に向かう最中、初日に待っていたエリアでおっとそっくりなひとを見かけた。天パ、体型、バッグ。本人かと思ったくらい。
御守りの力を信じよう。
9日目
9日目。昔の会社の先輩に励ましの言葉をもらう。まずはからだを。しごとはなんとかなるから、と。おっとの仕事ぶり30年近く見てもらっての言葉。おっとが、がんばるひとだとわかっている人からの言葉。
10日目
10日目。ひとりのごはんはなにも作る気がしない。息子たちも、単身赴任中のおっとも、こんなだったんだろうか。
いとこが病気になり、退院したら人生観変わったと言ってたけど、もう、私は変わった。
1番大事なものが何か。
自分のためじゃなくて、誰かのために生きていくのは強いモチベーション。
おっとと子供たちのために私は生きていく。
今までは、まず、自分ありきだった。
もう希死念慮には負けないし、生まれない。職場で何かあっても小さいこと。12日目。
昨日は肉体的に疲れて弱気になった。中抜けして帰ってきたら、駐車できるところがなくて、20分くらい探し回り、職場から1番遠いところに詰め込み、帰りは小走りしたからだ。
疲弊していると、本音が出るのか。
おっとがいる。
子供たちがいる。
それでいい。
11日目
11日目。おっとのリハビリの様子を見る。リハビリ棟に移ることになる。杖を使いながらだけど、私が考えているよりさくさく歩けていた。
もちろん、まだまだ。
MSWさんと話をしながら、先方、私がいろんなことを知っているので話が早くて驚いていた模様。
国保、介護、福祉と業務もしてきたし、自分で勉強してきたもの。
知識は役立ってる。
今までの異動はこのためだったのか。
休みたい。
私は還暦女だったよ。
子供はいない(うちに)、フルタイムで働いて、週2回早退して隣の市の病院へ、夜は調べ物、うちのことして、これに転院の入院準備。私しかやれる人いないもの。やるしかないんだ。頼む、母よ、何もしないで。
見舞いに行ってなんて言ってないし、あなたはメンバー外。勝手に言って、会えなかったとか言わないで。ここが1番ストレス。
おっとに読んでもらいたい脳梗塞の情報集めとか、それで時間がなくなる。
だって、彼、ひまで、読む時間はたくさん。でも、ギガがそんなにないから、調べたのを読むので精一杯。
自分がもうひとりいたらいいのに。
眠いんだけど、気が休まらないんだろね、すぐ目が覚めてしまう。
12日目
12日目。
昨日は肉体的に疲れて弱気になった。中抜けして帰ってきたら、駐車できるところがなくて、20分くらい探し回り、職場から1番遠いところに詰め込み、帰りは小走りしたからだ。
疲弊していると、本音が出るのか。
おっとが苦労をかけるね、と言うんで、何が苦労か?と。
半年間、生気のない息子を毎日見て、学校とやり合い、夜は眠れないで職場に行った日も何日あったか。
それでもフルタイムに仕事。
土日は毎週末、どうやって自○するかしか考えられなかったことから比べたら、どうってことない。
あの、出口が見えない、仲間がいない時と比べたら、全然違う。
今は、彼を心配してくれるひと、応援してくれるひとも多いし、他の病気の治療もしなくてはならなくなったけど、対策はとれる。
たたかう相手は、おっとの脳細胞だけーいや。後遺症だけ。無責任な言い方だけど。
それも、うまく付き合っていけばいいだけ。
だから、苦労じゃない。今までしてもらっていたことを私がするだけだもの。
13日目
13日目。入院準備(名前はまだ買いてない)完。月曜日の着替え持ち込み準備も完。意外と自分は早めに準備をするタイプだと気づいた。
家の見取り図が必要で描いているんだけど、増築改築が多いからなかなか描けない。
図画が下手だからかも。
14日目
14日目。私はアイスタへ。おっとはまたスタジアムに行けるよう、リハビリをがんばるそうだ。
これは強いモチベーション。
家の見取り図ほぼ完。
動線の指導などが入るらしい。
15日目
15日目。
消灯から起床の間を除き、ステッキでの歩行が許可される。
私が想定していたよりは、早めに歩けるようになっている。
おっとのベッド、よく見えるところにパルちゃんが鎮座しているとのこと。
同室にサックスブルーサポがいないといいな。
16日目
16日目。やっぱり疲れている。おっとが入院し、息子が帰ってから肉を買っていない。油物も極力とらず、夕飯は基本サラダと豆腐。来週健診だし。おっとは健康的な食事。
17日目
17日目。おっとのところで応援してくれているパルちゃんを見て、病院スタッフさんに話しかけられたそうな。
パルちゃん、すごいね。
18日目
18日目。
リハビリ病棟への転院が決まる。
転院?転棟?
19日目
19日目。雨。15時に早退して病院に行くので、詰め込み駐車だけは避けたくて、いつもより15分早く家を出て、端をキープ。これだけでも今日はいいことがありそうだ。
転院が決まって、月曜日に会えるので、今回の面会にはあまりワクワク感がない。
面会の時に書く用紙の「続柄」に「妻」と書くのがほんとに新鮮、まだ慣れない。
私、がんばってるよね。ひとりでやってるんだよ。
ほかに病院にいくひともいないけど、ちゃんとフルタイムの仕事もしてるんだよ。
還暦ばばあだよ。
自分の糖尿病治療も再開。
私が倒れるわけにはいかないんだよ。
自分で自分をほめよう。
がんばってるよ。
だれからもほめられないけど、
応援されて嬉しいけど、どうもできないから、せめて自分で自分をほめよう。
来週は職場でひとつ報告資料を完成させなくては。
20日目
20日目。
無理しないでくださいと言われるのはほんとに嬉しいしありがたい。
常に言葉でエネルギーアップできればいいのに。
言葉は毒にもなるんだけど、今は薬〜いや、エナジードリンクになりますように。
21日目
21日目。
明日から別の棟に移る。
おっとのいない生活に慣れてきている自分に気づく。
ストレス対応で「食べたい」んだけど、健診が終わるまではがまん。
通院してるからここで値を作らなくてもいいんだけど。
ほかに気づいたこと。
「がんばれ」の使い方
「がんばっているひとにがんばっては使わないで」に同意して使わなかったけど、今使わないでいつ使う?って感じ。
おっと、がんばれ
私、がんばれ
おっとは私のために
私はおっとのために
がんばる。
それと、私は準備が早い。