2021年10月5日 18:56
読んだ。
何回も読んだ。
読んでいくにつれ、ぼんやりとしていたものがはっきりとした形になっていく。
なぜだ?
どの文章も読みながら、筆者の感じたこと、考えたことに「自分は」「自分なら」という視点で見たものから化学反応が生まれ、新しいものが生まれていったからだ。
筆者の感じたことをそのままおさめてある引き出し、同じようなことを自分が以前考えたものをおさめてある引き出し、それらが化学反応したものをおさめていく引き出し。
文章を読む、ひとと話すと引き出しがたくさん増えていくのを意識できる。
もっとも、この引き出し増殖現象が起こるのはごく限られたひとと触れ合った時にのみ起こる。そして、話したり読んでいくにつれ、乾いたスポンジがだんだん膨らんで重くなっていくのだ。引き出しが増えているのだから、重くもなっていく。
こうして、書きながら、「言葉はなぜ必要なのか?」を強く意識している自分に気づく。
他人とのかかわりがあるから、言葉が媒介となり、必要になる。他者に伝える必要がないのなら、他人から受け取る必要もないのなら、この世に自分だけしか存在していないのなら、必要ないのでは? いや、覚えていられないから、記憶するために言葉、文字は必要だが、それは自分のためであり、他者とのかかわりのための言葉と役割が違う。
なので、「他者とのかかわりのための言葉」について思いをめぐらそう。
言葉は、コミュニケーション・ツールのひとつにすぎない。それなのにこだわってしまう。
私は翻訳を生業としていた時期もあったので、書く時の時制、助詞を選ぶ時は考えて使っている(つもり)。
たとえば、「言葉がなぜ必要なのか?」と「言葉はなぜ必要なのか?」は何が違うのか。「は」は主題(topic, theme)、「が」は主語(subject)。どちらを自分が伝えたいかで選び方は変わる。自分の考えていること、感じたこと、感じていることをより「そのもの」に近い形で伝えられるか、そんなことを考えて書いている。(助詞の選び方は、お気に入りの俳句番組からも影響を受けているが、俳句は難しいのでインチキ短歌をこっそり詠んだりもする。)
しかし、そんなふうに一語にこだわりがある人たちばかりではないので、同じ言葉で話しているのに言葉が通じないというのはよくある話のように思う。それでも、私は、知らなければよかったと思ったり、言葉が嫌いになることはなかったし、今後もないだろう。私の中で「言葉」に焦点を当て続けるのはライフワークだから。
言葉は、言葉の品詞によって役割が違う。形容動詞(形容詞でもいい)、属性を表すものなら、最小限の共通項があればいいのではないか。
「好き」はプラスイメージで、「嫌い」は不快を伴う、そのくらいでいい。いや待て、受け取る側で意味合いは変わるとはいえ、「好き」はプラスイメージだけでは大きなまとまりすぎるし、一括りにしすぎる。「好き」という言葉も環境や立場、人によって違うから、二股騒ぎが起こる。私のことだけ好きだと思っていたのに、…相手の「好き」は自分の「好き」と同じなのか?
これが動詞、名詞となると、意味の共通部分が多くないとお互いの意思疎通がとれなくなる。
とれなかったら、とりたかったら、とれるまて食い下がるまでだ。相手がそれをしないのは、そのことには興味や関心がないからだ。
わかろうとしたくないだけなのだ。
だから、わかってほしい、わかっていてくれていると思っていた存在が実は全然違っていた時に、複雑な感情が生まれる。
逆も真なりなのだが。
言葉にはダブルミーニングもあるし、裏も毒もある。薬にもなる。同じ言葉を同じ人が言ったとして、あるいは文章を読んだとしても、受け取った環境、時期によっては、受け取り方は変わる。
この感想のもととなる文章もまた別の時に読んだら、違うことを思うのかもしれない。
考えていくにつれ、自分にとって言葉とコミュニケーションは切り離すことのできないものだと改めて思う。
あえて、コミュニケーションだけで考えてみる。
他人と自分との「コミュニケーション」に求めているものはもう少し自由であってもいいのかもしれない。
「関係」も、自分が相手に抱いているものと
相手が自分に抱いているものは違う。いや、違う部分もある。それでいい。
それでいいのか?
自由という名の自己責任に逆に縛られていないか?
受け取る側の自由でいいと思いながらも自分のことはできるだけ真実を伝えたくなる。私が発する言葉は私のものであり、受け取った言葉もそのひとのものなのに、だ。
「今の」自分はそう考えるのだが、精神的にマイナスに傾いている時には「言葉」を窮屈に考えている自分がいる。
自由でいいと思う自分と縛られたい自分との共存。
その思いも永遠ではない。
結局、「言葉とは何だろう?」はまだまだ考え続けていく。
言葉の沼に落ちていく。
いや、落ちている。
そんなところにまだこだわっている自分ー