台北で日本語学習についての講演があったそうで、その様子をメールでいただいた。抜粋、転載させていただく。(すみません、許可ないんですけど)
学習者はその言語を理解するときに自分の中にある知識の枠組みで理解していくということです。理解の方向には二つあって一つはボトムアップ。一つはトップダウン。つまり単語一つ一つから句、文型、文と下から積み上げていって全体を理解する方法とある情報が与えられたら、自分経験や常識からおおまかに次はこうなるはずだと、類推しながら理解していく方向があるという。人は類推してそれを確めて、というふうにその両方を相互に使いながら読みこなすんだそうで...
この話は外国語学習について話されていることなのに、生きていく上でのすべてのことに通じるような気がするのは私だけではないだろう。
今ある状況を一つ一つを分析してから全体を理解していくボトムアップ。ある情報が与えられたら、次はこうなるはずだと類推して理解していくトップダウン。自分も無意識のうちに両方を使いわけているにちがいない。
こんなふうに客観的に分析して考えていったら、トラブルも悩みも落ち込みもあっという間に解決できそうな気がするのだが。
とはいえ、精神的にないっている時にはそんなことを考えている余裕はない。なぜ、よりによって、この「私」がこんな目に遭う? 私も悪い、「でも」むこうだって悪い-
人間関係で勝手に悩んでいた20代前半の頃、会社の先輩からいただいた言葉がある。彼女は、私が一方的に言いまくったグチを聞いてくれた後で、こう言った。
「〇〇ちゃんは、教員免許持ってるよね? もし、生徒が今みたいなこと言ってきたら、なんて返す?」
メールをもらうまではこの言葉を忘れていた。トラブルや悩みが違う人のものなら、客観的に見つめることができるかもしれない。
どうも自分でトラブルの種をまいては大きくしてきたこの頃、こんなにも近くに解決のための手引きがあったのだ。
一歩下がる。
それから周りを見渡して、ボトムアップかトップダウン。
これで大丈夫・・・悩みよ、いつでも来たれ! いや、来ない方がいいです。
(2001.11.21)