それを見た時、脳みそにヤリがささった。
「言葉の解像度」
「好きの解像度」
もやっとしていたものを表現できる、そのセンス。重く思われてもよいです、これは「推し」としての「好き」。
たかが言葉、されど言葉で、それが「合わない」ひととはつながっていたくないのだ。
「解像度」。
もやっとさせておきたいものもある。
あえて、しっかり定義しない、なんとなくがいいときもある。
あることがらに対して、片方ははっきり、片方はもやっという部分が多いとカップルとしては続く時間が短いか。全部合うなんてあり得ない。どれだけ質と量が合うか。
と考えていたら、「好き」の言葉の奥深さに行き着いた。
この言葉だけではないんだよ。
どの言葉も奥深い。今は「好き」が気になる。
気になる言葉はその時々で変わる。
そう、気になるタイミングが合うかも、私には大事。合うか合わせるか合わせてしまうか。
私たちの場合、圧倒的におっとは私に合わせてるように思うけど、彼は私に合わせているように見せて、私の反応を楽しんでいるかもしれない。
ほんとは、私はおっとのことをよくわかっていないのかもしれない。緩い解像度で時間を過ごしてきたからか。
感情の起伏の波について話していた時、そう感じた。
理論的に考えているのに、なんとなくでいいように見えるおっとと、なんとなくでいいのに、理論的に考えて「なぜ」を突き止めたくなる私。
ま、いいか。
「解像度」からこんなところに行き着いた。