ほかのひとの書いたものを読んだ後、
ここまで書いて、私は止まった。次の言葉がたくさんありすぎて、選べなかった。
何を感じるか。
何を考えるか。
何を思うか。
思い出すか。
どんな行動をするか。(自分から動く)
どんな行動になるか。(自然にそうなる)
あるいは、そんなことを考えずに、文章そのものへの感想か。
重い。軽い。薄い。嘘っぽい。
文体がいやだ。使っている語彙が嫌い。
文章への感想しか持てない時は、内容は読むに値しないのかもしれない。
いや、もっと自由でもいいし、何も感想などなくてもいい。言葉は受け取ったひとのもの。読み手の自由だから。
書き手はそんなことを考えて書いてはいないだろう。読み手のことを考えて.文章を書いていてほしくもない。
仕事、あるいは自分が書きたいから書くのだろう。いやいや書いているひとはいないと信じたい。書けなくて書けなくて悩んでいたようなら、ようやく絞り出した言葉で、仕事であっても「書くこと」はいやだと思いながら書いていてほしくはない。
ここからは、「私だけの 読んでから」
読むと必ず自分の記憶、体験を思い出す、あるいは重ねる書き手(ライターさんとしての文章ではないし、コラムニスト、エッセイストという肩書きで括りたくないので、この言い方)がいる。読んだ後に感じたり考えたり思い出したりしたことをつたなく書く、それが「★感想〜」である。
私にとってはその「書き手」さんは強い推し。この方の文章を読むのが好きで、しばらく触れていないと「〇〇さんが足りない」と感じることも多い。たくさんの書き手(小説家なども含めて)にはこんなファンが多いんだろうな。
今ある自分は、過去の体験を積み重ねたからであり、何かないと、過去を思い出すこともない。それをさせてくれる。また、未来を想像することができて、これからの自分のしたいこと、することもぼんやり見えるナビゲーターでもある。
そんな書き手さんに出会えたのは、とても幸運だ。
感謝の気持ちでいっぱい。
こんな気持ちになるのは私だけではないと思うな。
だから、ずっと書いてください。
いつも「読んでから」こんな気持ちになるのです。