私の核のまわりには結界が張られている。表面張力が非常に強くて球体になっている。
ふとしたトリガーでその表面に亀裂ができるとそこからいろいろな思念が入り込んでくる。
中のものが出ていくというよりも外から入ってくるものの方がはるかに多い。
トリガーは急にひかれるのだが、亀裂で入ってくるものはいつも同じ。
もとは小さな自己否定、不安、疑念から始まる。しかし、やがて徹底的な自己否定、自信喪失、自分を最下層という自己暗示、疎外感、職場のたったひとりの言動。
最後はいつも職場から入ってくるものに飲み込まれる。それほど職場という雑念の塊から自分の心を守るのに必死なのだ。
正しくは、職場の同僚。どこに異動しても同僚。
たかが職場なのだが、一日で動いている時間の半分くらい職場にいるのだから、ここでどう過ごすかは精神状態に大きな影響を与える。
いつから私にとって職場がこんな存在になったのか? それもはっきりしている。そして、それを忘れるにはまだ時間が足りないということも。
「怖い」のだ。職場の同僚が。怖くて話ができない。あの、私を徹底的に否定する言い方が怖い。思い出してしまう。
「怖い」は感覚で、それを直せるのはよほどのことだ。
そんな時、「悩みに名前をつける」記事を読んだ。
ハイセンスではないし、私がつけたのは悩みに対してではなく、ひとの呼び方のだが、それでいくぶんすっきりしたのか、今、球体修復はかなり急ピッチで進められている。
相手は妖怪エイリアン。
昔の上司が、「きみたちとは文化が違う」と言ったのを思い出した。そう、エイリアンなので、文化がちがう。こちらがよしとすることはよしとは思わない、逆におかしいと思うことは彼らの文化では正しいマナーなのだ。
わかり合う必要なんてない。わかり合うふりをした方がいい時もあるが、「個」のレベルなら、わかることもわかってもらうことも必要ない。
というのを結界がしっかりしている時にはわかっていても、亀裂が入ると忘れてしまう。この繰り返し。
今回のは妖怪エイリアンと名付けたことで修復できそうだが、次はどうだろうか。
ふと、フロイトの本を読みたくなった。大学の授業で習ったが、もういちど、フロイトを読み直そう。