自分にどんな言葉をかけるか?主観の「思う」と客観の「かける」
昔、同期と大げんかした時の話。ずっと口をきけなくて、どうもこうもできなくなってきた頃、先輩に言われたこと。
「〇〇ちゃんは、教員免許持ってるよね。先生になって、子どもに同じ悩みを相談されたら、なんて言う?」
ご主人の「もう一人自分がいたら、俺になんて声をかけるだろう」の言葉に先輩からの言葉を思い出した。
先輩は、子どもになんて言うかという言葉で、自分になんて言う?を私に問いかけてくれたのだ。自分を自分ではなくて、俯瞰して、他人であるかのような自分になんて言うのか?
それから、何かあると先輩の言葉を思い出して自分に言葉をかけていたのだが、いつのまにかそんなことをしなくなっていた。
思い出したよ、そういうことを言ってくれた先輩がいることも。
今回のツボ。
・「思う」は主観だけれど「かける」は客観。
・自分が好きな言葉を、自分にかけてあげる習慣をつけることで「思う」ことそのものがそっちに引っ張られていく。
・自分が欲しい言葉をくれるのは、他の誰でもない自分だけ。
・言葉にこだわる人、言葉で傷ついてきた人なら、きっと言葉の影響力やパワーを信じているはず。
そして、ここ。
「相手は変わらない、自分が変わるしかないって言うだろうな」と言ったご主人の言葉。うちのおっともよく言う。なので、私の肝に銘じている。
自分とかけ離れた人と付き合う時、おっとが言っていた言葉。
あきらめる。同化する。わかれる。
それから、ひとに言葉をかける時(ほとんどが励ましたい時)は、そのひとに伝えたいことは自分自身にも伝えたい言葉。
ひとにはかけられる言葉も自分にはかけられない言葉もあるから、ひとにかけているようで、自分に向けている。
なんか、いろんなことを思い出した昼休み。